金沢の土塀といえば、長町の武家屋敷跡が観光としても有名で、特に「こも掛け」は土塀の冬仕度として全国ニュースでよく登場する。当院は、加賀藩家老の八家の一つである奥村宗家(1万7千石)の屋敷跡にある。HPの「土塀の残る街、金沢(2)」の中では、この長町に残る土塀は中級の武家屋敷跡で全国的に散見されるとし、加賀百万石らしい武家屋敷跡を残すとすれば旧奥村邸以上のものはない、と紹介されており、県下最長の当院の「長土塀」を絶賛しているのである。「侍屋敷土塀の系譜と現況」の資料(金沢市教育委員会)によると、加賀藩士の屋敷、居宅の周囲は禄高と家格によって土塀や杉木立で囲むことが許され、八家は戸室石の亀甲六角石を組んで、土台(石垣)とし、瓦あるいは板屋根に白壁・土壁の土塀、これに長屋門を付した豪壮なもので他藩の土塀に比べて一体に品格があり明るく華やかで、かつ重量感にあふれる、と記されており、その築造は元禄年間(1688年~)と推定されている。
昭和58年に「長土塀」の一部改修と同時に細部調査が行われているが、それによると土塀部は3層構造となっており、下部は小石と瓦礫の砂質土層(小石は20~100mm)にて構成され層厚は約90cm、中部は小石と瓦礫の砂質土層(小石は20~50mm)で構成され層厚は40cm、上部は植物根を含む砂質土層(小石は10~20mm)にて構成され層厚は約30cmで、下部と中部の間には径4cm前後の貫通穴が80cm毎に水平方向に設置されている。石混じりの土塀であることから銃弾を通しにくく城砦の意味あいをもたせたようであり、高さ183cm、基礎の幅が83cmで高さ57cm、長さ282mの土塀である、との記述がある。
築300余年の堂々たる「長土塀」は、まさしく加賀百万石の往時の大名級武家屋敷を偲ぶ事のできる城下町、金沢ならではの貴重な文化財であり、また病院のシンボルでもある。当院のこれまでの歴史を温かく、時には厳しく見守ってくれたに違いない「長土塀」を後世に末永く残すことは当院の責務であり、また健全経営の証でもあると重く受け止めている。